赤い文化住宅の初子、その2

dankai-2005nen2008-05-27


ジュリーをTVで初めて見たのは浪人時代にビアガーデンでバイトしてた時、店のTVでだった。まあそれはそれでいいとして、その後大学に入って「ブルジョアジーを倒せ」の学生運動に巻き込まれてしまった。ブルジョアジーと非ブルジョアジーの線引きなど未だにわからないけど、とにかくブルジョアジー=お金持ちは労働者を搾取してお金を稼いでいるので、ブルジョアジーを倒し、労働者に富と社会的力を分配しようということだった。で、考えてみれば、石原しんたろー(当時大ファンで小説、評論など大事に飾っていたのだ)もタイガースもえらいお金持ちである、それはいかん、俺は労働者=貧乏人の味方でなくてはいかんと思うようになった。ファンをやめたのだ。同じコンサートでもウッドストックみたいに何十万人の人を集めるロックのコンサートはロックだから金儲けではないのだと無理やり思ったりもしていたようだ。黒人のジャズは黒人=差別されている人ということでとりあえず味方だった。タイガースやビートルズも好きだったはずなのに、中途半端な気分で接していたのはそんな風に思っていたためだろう。
けれどその後、学生運動は沈静化し、先頭を走っていた活動家も卒業、就職したりして、いなくなり、側でうろうろしていた俺は取り残されてしまった。運動を継続している人、形を変えながら継続している人達ももちろんいたが俺には縁がなく、俺はとにかく学生など辞めて労働者になろうと上京した。それ以来、できるだけ搾取をする側には立たない、経済的上下関係は出来るだけ持たないでと今日まで暮らしてきた。

最近の話、ヤンキーススタジアムを1300億円をかけて建設、命名権を売る予定はない、松井は年俸10億円、、と聞くと、一方で少ないお小遣いを握り締めて球場に走る貧乏な黒人の少年をつい頭に浮かべその構図にしばし俺は頭を抱える。又学校に行くお金がなくその資金を稼ぐため、兵隊になってイラク戦争に行った若者を思ってしまう。
安田成美は子育てが一段落した最近、朝、夫と語り合う静かな時間が持てた、そんな彼女のお話を聞くとTV情報欄に載っていた。新聞をめくる俺の手は止まり、年収数億円の夫婦の話を誰が見たいと思うのだろう、としばし悩む。ワーキングプア、非正規雇用の人はどういう気持ちで観るのだろう。すぐそう考えてしまうのは、俺がただ偏屈で卑屈なせいなのか、、実はお金や立場、暮らしに関わらず、真理や共通する楽しさがあるのだろうか。

そんな訳で俺も実在の人物の大ファンになかなかなれないけど、小説や映画はとても好きなのだ。その中には等身大の人や同じ境遇の人、夢を持って生きる人、悪に立ち向かう人、色んな人がいて入れ込んで読んで、観てしまうのだ。
それもよく考えると、出版社があって、お金持ちを支えているという事実があり、又そこで働くことによって生計を立てている労働者もいる。

こうした矛盾した中途半端な気持ちで色んな出来事や人物を見聞きしてしまうので、かっこいい、楽しいと思いつつ歌を聴きながらもある程度以上はのめり込めないのかもしれないと思う。先日、レコードを整理してて、ジュリーのアルバムを見つけ聞いてみた。タイガースが解散して間もなくのまだ若い頃のものだったが、うまいねー、いいねーとしみじみ思った。聞きながら、ジュリーが出た映画などをいそいそと観にいった記憶もよみがえった。
寝る前、ちびちびやりながら、過去を回想し、自分の人生の再チェックでもするか。