不公平 、格差

現状を見るとやっぱり世の中不公平だと思う。
子供の頃、野球好きの少年は努力さえすればみなイチローみたいになれるような幻想を持っている。 
けれど少し長ずるにつれ現実を知るのだ。一郎には誰もなれない。いくらがんばっても生まれたときからそれは決まっているのではないか。努力だってする人としない人はもうすでに決まってるのだ。
又、エジソンは天才ではない、努力したからいろんなものを発明したのだと「勉強」を促された、けど例え努力してもなれない奴はなれないし、努力もやっぱり生まれ持った才能だ。そしてその才能、能力はこの経済社会の中では収入につながってくる。イチローほどはもらってなくても、高給取りの野球選手が何人かいる反面その他大勢のほとんどの一般庶民はたいした給料ではないし、方や今言われているように格差の底辺時給700円で生活する人や、ネットカフェに寝泊りしながら日雇いの仕事で生活をしている人、挙句は時給0円のホームレスさえいる。


大分前だが、モトクロスを趣味でやっていた。あの荒地をオートバイで飛んだり跳ねたりする奴だ。クローズドサーキットの中ではあるが、スピードを出せるだけ出していいということが新鮮で、憂さ晴らしも兼ねて、けど下手に走るとすぐ転ぶのでやはり練習を積んだのだ。ちょっとづつ早くなるとだんだん面白くなっていく。 
コーナーを上手に抜けられた時とか、わくわくする、のめりこむ。未経験の快楽。そんな気分で練習していると、俺の横を風のようにぴゅうっと駆け抜けるオートバイがあった。

モトクロスはプロ、アマの区別がなくライセンスをとり、予選さえ通れば階級に応じてすべてのレースに出れる。早い人にはスポンサーがつく、それがプロといえばプロだ。プロ用の練習場というのが特になく、すいた日や割り当てられた日を選んでそういったプロが走っているのをたまに見かけたりするのだ。俺はそのプロに初めて出くわし、側に並ばれて、その速さにびっくりしたのだ。
でこぼこ道をその小さな谷、谷にタイヤが落ちずひとつづつの頂上を点で結ぶように、あたかも平坦な道路を走っているようにひゅうっと駆け抜けて行く。
もう人間技ではない、遠くで見たり、TVで見たことがあったけど、実物の走りは違った。俺の走りは彼の走りに比べれば10分1倍速のスローモーションだ。
違う世界の人だ。彼が感じている高みの境地には俺は一生かかっても到達できないというのを瞬時に理解する。
プロとアマの違い、その途方もない差をわかってしまった。
彼は俺が少し早くなって感じる喜びなど比較しようがないとてつもなく早く、華麗に走る「喜び」というか快楽を味わっているのか、それが悔しい。早い奴は走りの喜び、収入、両方とも手に入れることが出来る。お前、努力もしないで口ばかりじゃ喜びも何もないよと言われそうだが、どんなに努力したって、ましてやその年で無理なのはわかっている、到達しえない世界なのだ。俺などには縁のない無上の喜びがあちこちの世界にあるのかも。話は戻るが方や俺より練習熱心でも俺より遅い奴もいたのだ。遅い奴がいなければ早い奴もいないのだ。