戦争を語り継ぐ、それをどう受け止めるか

戦後20〜30年、昭和で言えば40〜50年の頃、俺などその戦争の話を聞くと遠い昔の事に思えて、現実感もなく、うっとおしかった。
まして戦後60年の今、あの第2次世界大戦とよばれる戦争の話を聞かされようとする若い連中にとって、一部の人を除けば共感、現実感など想像できない程遠いものではないかと思ってしまう。第2次世界大戦も明治維新などと同じく遠い昔の歴史上の出来事に過ぎないかもしれない。又水平的に見れば、未だに戦時下にある沖縄は島であることも利用され、沖縄県以外ではあたかも別の国の出来事のように喧伝されて、今も戦時中のアラブ、イラクスーダンと同じように遠くに感じられるのも無理はない。

戦時を語り継ぐ人、伝えようとする事実は今に、先に生かされていかなければこの先語り告ぐ人はますます生きながら過去の人になり、その事実は遠い過去の出来事にされ、
慰霊式(祭)はますます歴史記念式(祭)になってしまう。式(祭)は悲惨なことを忘れ、何もなかったように風化させていく手段になってしまう。

日本政府が先の大戦中に唱えた「アジア開放」という大義をかなぐり捨てて経済的効果を優先させたご都合主義による不徹底な終戦処理を行った結果、未だにアジア諸国に反発を抱かせ、それに対する日本民衆の素朴なナショナリズムに対して更なる反撥心と警戒心を起こさせる悪循環に陥っているという人もいる。戦時中には「一視同仁」だとして日本軍人として出征した朝鮮、台湾人には軍人恩給も遺族年金も一切支給されていない、日本は戦後の経済発展と引き換えに盟邦としてともに先の大戦を戦った人を棄民とした。
アジアへの侵略をあいまいにし、原爆を落として多数の殺戮をした連合軍という名のアメリカに対する抗議も行わないまま、目先の経済効果を追求しながらアメリカに経済も軍事も追随しているねじれた構造は日本の人々の意識構造をそのままねじれた構造に追いやっている。
又、国家主導で在日米軍再編への協力度合いに応じて地方自治体への交付金を支給するといったアメとムチが、人々の意見を封じ込め、人間関係をいかにゆがませるか言うまでもない。
今、戦争を語り継ぐ人の言葉を受けて、戦後世代はもう一歩進めよう。NGO活動でもいい、アジアへ目を向けよう、政治の動きもちゃんと見よう、声を上げよう、動こう今一歩。