団塊世代の残りの人生

あのバブル期が何がきっかけで起こり、何で続かなかったのか未だに俺はよくわからん。
あの渦中、俺は古道具屋を始めた。人は引越しの度にたくさんの家具等生活用品を手放し、又家の解体、建て替えも多く、眠っていた古いものが市場に多く出回った。その家具等生活用品は少し下の生活レベルの人達に渡り、循環していった。皆気前よく手放し、気前よく買った。古いものはアンティークとして若者が嗜好品として手に入れることが出来るようになり、又急に金回りがよくなった人たちは「芸術品」が買えることを知った。若者が買える程度のものはいざ知らず、「芸術品」も引く手あまたで値段は日に日に値上がりした。
商品もお金も転がるように回り、使い捨てられ、「物」「お金」の楽しみを誰もが程度に応じて、充分に享受できた。あちこちにビルが建て直され、街の風景が変わって、同じ風景になり、地方の隅々までミニ東京を目指したのもこの頃だった気もする。
俺が古道具屋を始めたのはバブルの終わり頃で、さあこれからだと気合を入れようとしたらあっという間に終息してしまった。おかげで儲け損なったけど、過大な期待を持ったせいの借金が残ったりもしなかった。まあいい経験をさせてもらった。
と、バブルの一端を書いても、経験した人はすぐわかるだろうが、特殊な一時期だっただけに、バブル後に社会に出てきた人には想像しにくいだろう、漂う喪失感や廃塵だけを「何なのだ?」と訳もわからず、せいぜい手で払うことしかできない。
会社、世間はバブル後の処理を人、物のリストラや、新たな人材(新卒や途中求職者)、物を拒むことで解決しようとした。賃金を抑えるために年功序列を見直そうとし、IT化による人の能力の篩直しを同時にする。
しかしパソコンの出来ない中高年の社員のことがあちこちで揶揄されながらも、年功序列が完全に崩れる前にその制度(高い給料)の恩恵を受け、多額の退職金を抱え、年金を保証されて退職するのが団塊の世代といわれる。これからの高齢化社会の主役でもある。
「ロストジェネレイション」、バブル後に社会に出てきた世代、労働条件の面で先行、後続世代に比べて劣悪な条件を受け入れた2千万人のことを言うらしい。彼らにとって団塊の世代はそこから「資源」を奪還すべき「本当の敵」という人がいる。
団塊の世代は後続世代に対して高度成長に乗っかった70年代の政治、文化の高揚を吹聴し、その後の世代にはバブルのつけを払ってもらい、老後には年金を現役世代に支えてもらおう、、、そんなにうまく事がはこぶかしら。団塊世代に対しての商戦や社会制度の見直しが進み、すでに「奪還」が始まっているかもしれん。しかし年金、退職金等のお金もなく「奪還」に値しない連中はただのゴミで敵視の対象からもはずされる。まあどちらにしてもそのうちただの塵になって消えていくんだし、そういう意味ではまあみんな差別もなくおんなじ、対象からはずされた方が惑わされず、ぼちぼちいけるかもしれん。