自分の国は自分で守るなどという

参院選も終わり、8月のある日。「攻められたらどうする、普通の国になりたい、自分の国は自分で守る、」という一見当たり前の発言がNHKの討論会で連発されていた。

IPCCによると温暖化により世界全体で1960年以降地球上のすべての氷の約10%がすでに溶け、北極の氷の厚さはなんと40%も薄くなり、ヨーロッパアルプスの氷河が50%も後退、キリマンジャロの万年雪の消滅は時間の問題という。
その結果生態系が変わり洪水、旱魃が起こり農業への影響も深刻である。
南太平洋の島々の国もだんだん陸地が海水に侵食され、中でもツバル国は内陸への海水の浸水も増え、農業が出来なくなり、学校の授業も大潮のたびの床上浸水でストップしてしまう。
ツバル国は人口1万人、国土は日比谷公園の倍くらい、小さな国である。自給自足の生活を基本に切手の販売、漁業権の譲渡、ドットコムの期限付き譲渡などで現金を得ていた国。しかし今農業が出来なくなり、自給自足は崩れつつありやむを得ない出稼ぎ、食べなれていないコーラーやポテトチップス、缶詰が主食になる人も出てきて、生活、慣習が破壊されはじめているという。国土が沈み行く現象をまのあたりにしながらやがて国を捨て移住を模索することを念頭に皆が暮らしている。
そのツバルの話を読みながら思った、この国に対しては、「普通の国になれ、国際貢献で軍隊を持て、自分の国は自分で守れ」なんてとてもいえないのではないかと。
まして経済的メリットのない国であるから、経済的にも軍事的にも無視されることはあっても軍事的に攻められることはない。
所謂先進国においては、この事態はもう少し先の出来事であり、温暖化に実感が持てず、先送りされる。先進国が温暖化の原因であることをあいまいにする。

普通の国になりたい、、」発言は、先進国をめざし、あるいは維持したいがための発言であり、そのためには経済、軍事の戦争をして勝ちぬいていくのが前提での立場であり、発言は先進国のおごりに乗っかった発言であり、覇権主義、戦闘宣言に見えてくる。
今世界のあちこちで戦争、紛争と呼ばれるものが起きている。いずれも資源の奪い合い、権益の確保を目指しての闘いである。テロとの闘いなどと正義感に満ちていそうな大義名分を掲げるが、先進国であることを望み、維持するための戦争としか思えない。
民主主義、自由主義と言うけれど、経済至上主義でもある。経済的発展を阻むものは何事もつぶしていく。ガス抜きのためにたまに人間的、環境的によさそうなものを取り入れつつ、資本の論理は転がり肥えていく。経済発展の終着駅が人類と地球にとって、どんな感じか、あまりいいものでないとの予測に不安は日々増大していると思う。