原籙の愛する5曲

 土曜日、作家「原籙」の公開ライブを見に(聞きに)行って来た。西日本新聞の文化部が「ペリカン・カフェ」という名でゲストを呼んで50人位を前に話を聞こうという催しだ。

 当夜は50歳前後の人達ばかりで(女の人の方が多め、)とても気が楽だった。
 上品な雰囲気で、ちょっと知的でまあ心地よかった。けれど聞きながらハードボイルドの奥に反権力はないのだろうか、アナーキー的な視点はないのだろうか、今の政治、社会状況に対して一言ないのかとつい貧乏性の俺は思ってしまったのだ。
 でもハードボイルドというのはそこから距離を置く事だよなきっと、と思いつつも歓談する司会者と作家、うっとり聞いている聴衆、、、もっと何かがほしいと思ったのは単に事態がつかめない俺のせいかもな。

 先日読んだ「蕎麦打ち男」では、前書きの最後の「団塊の世代が、社会に向けて最後のエネルギーをまとめて放ったら、この国はあらぬ方向に向かわないかもしれない、、」という箇所に彼女の政治的社会的思いをこじつけかもしれんが感じてうれしかった。
 そんな部分を「原籙」にも見出したかったけど、、あくまでかっこよく。物がわかる大人の雰囲気で「マイルス・ディビスのラウンドミッドナイト」からはじまって「原籙の愛する5曲」が彼と司会とのトークと共に時間は過ぎた。

 「原籙」は九大を出てその後東京でフリージャズのピアニストで40歳まで過ごし、その後実家のある佐賀の鳥栖にもどり小説を書くのに専念、2作目で直木賞をとった。雰囲気も品があってちょっと知的で、年らしく頑固そうで、やはりかっこよく、ある意味うらやましい。
 何とか同世代の感じるものがほしかったけどやはり、読者と作家のままその場を後にした。けど俺もがんばらなくっちゃという気はもらった。何をと言われても困るが。