辺野古差し止め 県敗訴


裁判とは、表面的な、踏み込まない判決しか出さないことなのだと思ってしまう。訴える方が求めていることに正面からしか答えない。国との争いでは裁判所が頼り、裁判所しかないのに。

民事、殺人強盗など裁判所は時代を見ながら懸命に判断内容を考えている。しかしだ国が絡むと、裁判所って国のいいなりとしか思えない。この国の閉塞感をより助長させる効果もある。何を訴えてもはぐらかすし、国家がいつも正しくなってしまう。これでは、判決とは解決に向かう道筋のはずなのに混迷か諦めに向かってしまう。

名護市の新市長は辺野古の新基地にもろ手をあげて賛成しているわけではない。ということも付け加えたい。