ヨン様

 再び、熟年離婚、ついつい最終回まで見てしまったけど、うまくまとめていた。最初は頭の固い身勝手な男だった亭主も事情がわかるようになって、最後は元妻をリードし、さすが男渡哲也という感じであった。

 男は寄りすがる若い女を振り切り一人でJAICAのシニアボランティアに応募し、元妻のパリ研修の数ヶ月より長い1〜2年の予定で遠い小さな国、ドミニカ(多分違ったと思う、どこにという必然性もわからなかったので記憶に残らなかった)に出かけていくのだ。

 最近のタレントさんは背が高く、あの渡哲也が小さく見えた。かって石原裕次郎に渡哲也を「俺より足が長い弟分をよろしく頼む」と言わしめた彼が。
 俺らの若い時代には見上げるような足の長い渡哲也は、今や小さくなり、日本での役目を終え遠くの小さな国に行ってしまう。「配達されない?通の手紙」ですらりとした裸を見せた松坂慶子も大柄な女性タレントに囲まれて小柄な人に見える。
 
 俺も昔は中肉中背だったが、今や町に出ると見上げるような男達、俺と同じか高い女ばかり、自分が消えてなくなりそうな存在に感じてくる。あの「冬ソナ」の出演者達がかっこいいのは皆背が高く美しく鍛えているのだと誰かが言っていた。
 考えてみると、背が低い人がいるから高いということが認知されるのであって、高いということは ただの識別可能な現象にしか過ぎないだけで、他との区別性を優劣に並び替えようとするせこい、無意味な差別現象でもある。しかし、見ているとついかっこいいなーと俺も見てしまうのだ。

 いや、俺が言いたいのは、今の年寄(俺も含めて)の価値が社会の中で、表舞台を去り行くのみで、社会にかかわろうとすれば、夜警、駐車場の番、シルバー事業団とか、なんだか悲しいのである。だからといって年寄りがいばっていいのではなく、かといって年金の範囲内でつつましく暮らすというのでもなく、年をとる良さをこちらから示し、社会の中でもっと社会を作る存在になってもいいと思うのだ。